「ぱらいそ」と「ぱらいそさがし」
漫画の「ぱらいそ」を描きながら、
河出書房新社「文藝」にて旅と創作のエッセイ「ぱらいそさがし」を書いていました。
http://www.kawade.co.jp/np/bungei.html

「ぱらいそ」を補完するテキストでもあります。
許可をいただきましたので、第一回目のテキストを、こちらに載せておきます。

「ぱらいそ」と一緒に楽しんでいただければ幸いです。

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ぱらいそさがし 第一回  今日マチ子

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 天国の白、死の白色、

 白は、原稿用紙の白かもしれないし
 スクリーンの白かもしれない。
 あるいはキャンバスの白。

 三年ほど前、気胸をこじらせて右肺の手術をした。その夜は病室でずっと血を吐いていた。真夜中、血中の酸素量が急に低下した。あ、もうこれでおしまいなのか、と思った。当直医が数値を確かめて「まずいな」と言い、ばたばたと新しい酸素マスクが用意されている間、わたしの意識はすーっと「ここ」から離れていった。よく言われる、死の直前の走馬燈のようなものは廻らなかった。もう、イメージを引き出す余裕がないようだった。「あの原稿途中だ」「単行本完成させられなかった、担当さんごめんなさい」「志半ばで『消えたマンガ家』にされてしまうのかー」というような、直近のことばかりが浮かんできた。とくに、ずっと取り組んできた戦争というテーマを途中で手放してしまうのが悔しかった。でも、それぞれの想念を追うより早く、終わりがものすごい速さで被さってきた。いくつかが急に遠のき、目の前、というか、脳の中なにもかもが真っ白になった。クリームホワイトでもブリリアントホワイトでもない、純粋な、光の集合のような白だ。

 そこには何もなかった。
 天国まであと一歩。

 結局、新しい酸素マスクを装着し、意識が戻った。血を吐くのに疲れてそのまま朝まで眠った。向かいの屎尿処理室の匂いで目が覚めた。生きている。また血を吐く。

 それで、何を思ったか、私はメモ帳を取り出して、昨夜の医師と看護師の絵をスケッチしはじめた。五人くらいを描いたところで、急に力が入らなくなり、やめた。根性でTwitterにあげた。ついでに自分につながれているたくさんの管を撮影した。漫画毒、仕事の毒、SNS毒、色々毒されているなと思う。結局、そのあと一週間は手に力が入らなくて絵は描けなかった。いまだに、どうしてあの朝に絵がかけたのか不思議だ。垣間みた死への、「わたしは生きているんです!」というアピールか。それとも生きているということに舞い上がったのか。生きているということは、やっぱりそれ自体が純然たる喜びなんだろうか?

 沖縄、ホロコーストと戦争の漫画を描いてきて、「戦争」ということばのあやうさが、思った以上に厄介だった。誰の人生も、戦争が存在してしまうと、もうそれは戦争の中に含まれる小さなもの、になってしまう。戦争という言葉に世の中が期待するもの─センチメンタルだだもれのかわいそうな少女物語、戦時下の家族愛、悲劇の英雄譚、あるいはもっと政治的なガチガチの虚勢の張り合いうんぬん。それこそ、「わたしをいじめる戦争」というイメージのぬるま湯にみずから浸り続けていたいという、おかしな状況になっているのではないかしらん……。わたしの物語、は、戦争、を跳ね返す強さを持っているはずなのだ。持っていないかもしれないけど。そう信じたい。

 生きることの先にあるもの、戦争の先にあるもの。それは死と天国だ。そんなことをずうっと頭のなかで回しながら、退院後、長崎を何回か訪ねた。 
 初めは単なる観光だった。軍艦島クルーズやらグラバー園で明治貴婦人コスプレなどをしてすっかり長崎が好きになった。翌年はヘトマトという福江島の奇祭を見学に。これは本当にヘンテコな祭りで、巨大草鞋に未婚の女性を乗せフンドシ姿の男衆が担いだり、顔に墨を塗りたくったり、綱引きをしたり、藁玉を投げ合ったり、晴れ着姿の「今年の新婚夫人」を酒樽に載せて羽根つきさせたりする。てんでバラバラのラインナップだ。地元の方に由来を聞いても誰もがわからないという。ただ、わけのわからないエネルギーだけはあふれていて、わたしも顔を墨だらけにされて巨大草鞋に載っているところを長崎新聞の写真ニュースに載せていただくという、幸多きおこぼれをいただいた。ありがたや。
 話はそれたけれど、初めての長崎訪問では、浦上の教会の印象が強かった。長崎が、カトリックのキリスト教徒が多いということをようやく思い出した。長崎の原爆投下の爆心地近く。もっとも被害が大きかった場所だ。怒りや悲しみが渦巻いているだろうとおそるおそるいったのだけど、拍子抜けするくらいに静謐だった。なんだろう。祈りの力なのか、赦しなのか。あきらめなのか。すべては神の思し召しで、死んだ人はみな天国にいったからなのか。じゃあ生き残った人はなんだ。夕方まで少し時間が空いたので、どうしようか友人と相談する。「近くに原爆資料館があるけど……」「いや、それは、」「だよね」
 福江島の堂崎教会にも寄った。穏やかな海に面した教会で、かつては信徒でにぎわった様子がパネル展示されていた。心安らぐ場所だった。堅信礼の少女たちの軽やかなドレス。

 わたしは、中学高校とキリスト教の学校に通ったこともあり、教会が好きだ。と同時に、中高で与えられた大きな謎がキリスト教と、戦争だ。毎日礼拝をし、聖書を読んでいたわりにはキリスト教が何なのか、わかってはいないのだけど(まあ半分は居眠りしていたし……)、なにかしらの影響を受けているとは思う。そして平和教育に熱心な学校だったので、授業でディスカッションをしたり、祖父母世代からの戦争体験の聞き取りなどを積極的におこなっていた。しかし、わたしはことごとくそれらから逃れようとした。怖かった。戦争というものの大きさについて、自分が考えることのちっぽけさにおののいていたのだと思う。何ができるっていうんだろう? 過去を掘り起こしてなにになるというのだろう?

 三回目の長崎訪問で、ようやく原爆資料館にいった。もう十代ではないし、戦争の謎から逃げることはできないと思った。原爆が落とされた瞬間を想像してみる。わたしにとって、それは、白だ。死の直前、天国へのあと一歩の、強い光の白。
 
 生きていることを喜びとするならば、地上を天国と思いたい
 しかし天国があるならば
 死ぬこともまた喜びなんだろうか?

 天国、ぱらいそを探す旅に出ることにした。
 (つづく)

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「ぱらいそさがし」は、「文藝」にて連載中です。
次回は2015年秋号に掲載予定です。
http://www.kawade.co.jp/np/bungei.html
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by miootk | 2015-06-16 17:40 | NEWS
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